ご訪問いただきありがとうございます。
元・怒りんぼかーさんで
認定プレシャス・マミートレーナーの
やまだともこです。
今日は、私の過去の話。
自分でこういう表現をするのも
気が引けるんですが
私、子どもの頃から
割となんでもできる子でした。
ずば抜けてできるわけではなく
そこそこ。ね。
なんに関しても
人より少しだけ。
あとは多分
「できているように見せる」
っていうのも、
昔からうまかった。笑
「できる自分」に対しては
自分でずっと自信を
持っていたと思うんだけど
小6になるときの春休みに
あることが起こりました。
両親の離婚です。
母が、私の住む家を
出てゆきました。
両親の離婚の事実を知った
親戚や近所の大人たちからは
「でも、ともちゃんは
しっかりしてるから」
という声を掛けられました。
だから
私がもし
もっとできない子だったら
しっかりしてない子だったら
お母さんは
いなくならなかったのかな
という漠然とした疑問を
持つようになっていました。

そして
仲のいい友達にも
それまで
弱みを見せたことが
ほとんどなかった私は
新学期が始まっても
クラスメイトに対して
両親が離婚したという事実を
言い出せなかった。
小学校高学年の女子には
「隠し事はしない」
なんていう
暗黙のルールがあって
おそらく明らかに
様子がおかしかったのに
言葉では
「なんでもないよ」
としか言えずに過ごしていたら
クラスの女子からの
集団的な無視や
いじめを受けました。
でも
そんなことが起きても
感情に蓋をして
強がって、
感じないふりをするしか
そのころの私には
できなかった
強がって
「できるように見せる自分」が
私の普通の状態になって
でも
「できる自分」が大嫌いで
めんどくさいヤツでした。
多分、嫌なヤツでした。
そんなことがあって以来
女子の集団には懲りてて
そこに入れなかったしで
友達も、少なかった。
「できるように見せる」こと
しかできないのに
「できる自分」は大嫌い
それから
感情に蓋をすることが得意
そんな状態のまま
大人になりました。

父と離婚をしたあとも
母とは交流があったのですが
やっぱり
「私を捨てた母親だ」
という意識はずっと消えず
でも、
やっぱりそこには
蓋をしていました
母に対しても
ずっと何事もなかったかのように
接していました。
だから
プレシャス・マミーの
自分と向き合うワークが
ものすごくつらかった
いろんな想いと事実が
溢れ出して
ありえないほどの
涙を流しました
でも
ツライで終わらせないのが
プレシャス・マミーなんですね。
必ずちゃんとその日のうちに
「だから、いいんだ。」
って、最後はスッキリするように
できているんです。
このプログラムと
あゆみ先生と
一緒に受講したみんながいて
こんな私をたくさん認めてくれて
やっと
私の自己肯定感が
あがってきました
35歳になってから
やっと「できる自分」を
肯定的に受け止めることが
できるようになったんです
あのね
人って
認めてもらえるとね
自分以外の人ことも
認められるように
なるんですよ
だから私
予想外の行動を起こし続ける
子どもたちに対して
イライラして怒鳴ることしか
できなかったのに
「この子はこれでいいんだ」
って思えるようになることすら
できた
そして今の私は
母にも心からの
感謝の気持ちを持って
接することができてる
ね。
ほんとにすごいんです。
プレシャス・マミーは!!!
だからね
あなたも
このプログラムを学んでください
そして
仲間を作りに来てください
あなたなら、できます
私が、全力で応援します。

元・怒りんぼかーさんで
認定プレシャス・マミートレーナーの
やまだともこです。
今日は、私の過去の話。
自分でこういう表現をするのも
気が引けるんですが
私、子どもの頃から
割となんでもできる子でした。
ずば抜けてできるわけではなく
そこそこ。ね。
なんに関しても
人より少しだけ。
あとは多分
「できているように見せる」
っていうのも、
昔からうまかった。笑
「できる自分」に対しては
自分でずっと自信を
持っていたと思うんだけど
小6になるときの春休みに
あることが起こりました。
両親の離婚です。
母が、私の住む家を
出てゆきました。
両親の離婚の事実を知った
親戚や近所の大人たちからは
「でも、ともちゃんは
しっかりしてるから」
という声を掛けられました。
だから
私がもし
もっとできない子だったら
しっかりしてない子だったら
お母さんは
いなくならなかったのかな
という漠然とした疑問を
持つようになっていました。

そして
仲のいい友達にも
それまで
弱みを見せたことが
ほとんどなかった私は
新学期が始まっても
クラスメイトに対して
両親が離婚したという事実を
言い出せなかった。
小学校高学年の女子には
「隠し事はしない」
なんていう
暗黙のルールがあって
おそらく明らかに
様子がおかしかったのに
言葉では
「なんでもないよ」
としか言えずに過ごしていたら
クラスの女子からの
集団的な無視や
いじめを受けました。
でも
そんなことが起きても
感情に蓋をして
強がって、
感じないふりをするしか
そのころの私には
できなかった
強がって
「できるように見せる自分」が
私の普通の状態になって
でも
「できる自分」が大嫌いで
めんどくさいヤツでした。
多分、嫌なヤツでした。
そんなことがあって以来
女子の集団には懲りてて
そこに入れなかったしで
友達も、少なかった。
「できるように見せる」こと
しかできないのに
「できる自分」は大嫌い
それから
感情に蓋をすることが得意
そんな状態のまま
大人になりました。

父と離婚をしたあとも
母とは交流があったのですが
やっぱり
「私を捨てた母親だ」
という意識はずっと消えず
でも、
やっぱりそこには
蓋をしていました
母に対しても
ずっと何事もなかったかのように
接していました。
だから
プレシャス・マミーの
自分と向き合うワークが
ものすごくつらかった
いろんな想いと事実が
溢れ出して
ありえないほどの
涙を流しました
でも
ツライで終わらせないのが
プレシャス・マミーなんですね。
必ずちゃんとその日のうちに
「だから、いいんだ。」
って、最後はスッキリするように
できているんです。
このプログラムと
あゆみ先生と
一緒に受講したみんながいて
こんな私をたくさん認めてくれて
やっと
私の自己肯定感が
あがってきました
35歳になってから
やっと「できる自分」を
肯定的に受け止めることが
できるようになったんです
あのね
人って
認めてもらえるとね
自分以外の人ことも
認められるように
なるんですよ
だから私
予想外の行動を起こし続ける
子どもたちに対して
イライラして怒鳴ることしか
できなかったのに
「この子はこれでいいんだ」
って思えるようになることすら
できた
そして今の私は
母にも心からの
感謝の気持ちを持って
接することができてる
ね。
ほんとにすごいんです。
プレシャス・マミーは!!!
だからね
あなたも
このプログラムを学んでください
そして
仲間を作りに来てください
あなたなら、できます
私が、全力で応援します。



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